At least there were debates. Now they have almost shut up.

Happy nudes and angry comrades
By Satoru Nagoya

Since Shintaro Ishihara, a writer-turned-politician widely regarded as a nationalist with macho inclination, was elected as Tokyo’s new governor, some people may think that a stronger, more self-supportive attitude will emerge in Tokyo and its art world. I am one of those anxious for such positive change. Nevertheless, what I have seen in the Tokyo art scene recently is more of a feminist outcry.

Last year a debate over feminist art heated up in a Japanese-language art magazine named “LR.” The debate erupted between a male senior staff art writer of a major vernacular daily and the coalition of a female museum curator and a university professor (also female). The museum curator had organized an exhibition on how the weaker sex has been represented in art history at her prefectural museum in the northern Kanto area, and the professor – an expert in Italian art history at a national university near Tokyo – is known for feminist, leftist stance.

The female protagonists contended that women have long been oppressed in a male-controlled society; in male-dominated art history too, women were no more than nude objects exploited by male artists and their audiences. To do justice, exhibitions should continue to examine this topic today. The feminists’ male opponent maintained that, in Japan, such a view is no more than an import from the West, where feminist theories were born. Feminist curators in this country are just copying Western textbooks. And if the senior staff writer says artworks bearing feminist manifestations often lack formative quality, the feminist contenders would assert that Formalism – or its mother, Modernism – is also a product of a male-oriented culture that has put a limit on female expression.

I don’t wish to judge who’s right here. However, the ongoing large-scale exhibition of Nobuyoshi Araki at the Museum of Contemporary Art Tokyo (MoT) provides some very interesting hints as to whether such feminist claims are relevant or not. In the exhibition, entitled: “Sentimental Photography, Sentimental Life,” the renowned photographer is showing his trademark nudes and other kinds of work, including photographs of colorful flowers. Araki is rather notorious among some women and often a target of feminist attack. They claim that in his nude images (most of them with explicitly erotic atmospheres) the photographer debases women and exploits the female sex.

If their claim is true, however, what about those young women who pose so delightedly in the photographer’s works? Many of them are ordinary girls who seem to be happy with the opportunity to become models for Araki. They do not seem to feel “debased” or “exploited” – having become nude models of their own free will.

The exhibition also reveals that Araki, whose works (until five years ago) caused police to raid galleries on suspicion of “exposure of obscenity,” is no longer an enfant terrible who challenges public order. He has evolved into a wise artist who prudently avoids any confrontation with authorities or with dangerous people. The works on show at MoT include a shot of right-wingers waving Hinomaru flags at the Imperial Palace to offer congratulations to the Imperial family at New Year’s. This photo, however, is carefully separated from the photos of nudes. There are no shots explicitly showing any sexual acts. (Japanese police accepted exposure of pubic hair a long time ago, but they are still nervous about showing genitalia and sexual acts.) Above all, the exhibition is cosponsored by the publisher of the Asahi Shimbun, the newspaper regarded as Japan’s champion of good sense.

In the exhibition catalog, MoT’s chief curator Junichi Shioda says: “Araki’s photographs are like a mirror, reflecting the reality in which we live. This includes Tokyo, a city of obscene energy and inhuman emptiness.” Admittedly, Tokyo has many obscene aspects, but is Shioda the kind of man who spends most of his night life in Kabukicho or Yoshiwara? If not, whose “reality” is that?

For anyone who is going to start a battle, it is wise to first consolidate his or her own camp. Before blaming men for exploiting women, feminists should persuade their comrades of the female sex never to pose for Araki – or for any other male artists – so voluntarily and happily; and what about liberating those oppressed female workers of all nationalities in Kabukicho?

The exhibition: “Sentimental Photography, Sentimental Life” continues until July 4 at the Museum of Contemporary Art Tokyo, in Kiba.

Satoru Nagoya is a freelance art journalist in Tokyo.

(June 1999 issue of Plant, a Tokyo Journal culture supplement)

名古屋覚の管見ギャラリー12 地下鉄アート

(月刊「ギャラリー」2014年8月号)

20年ぐらい昔。東京の銀座や歌舞伎町で、いわゆる現代アートの作品を街角に設置したりパフォーマンスみたいなことを街なかでやったりという試みがあった。有名になる前の村上隆、痩せていた中村政人、若かった福田美蘭、その後もあまり変わらない小沢剛らが中心だった。私もまだ素直だったから一生懸命取材して英語でも記事を書いた。けれど何か物足りなかった。現実の街の風景の奇妙さが、彼らのアートに勝っていたのである。

街なかの傑作

事実、このほど東京メトロ銀座線新橋駅1番出口で面白い物件を見つけた。

最新デザインの案内板。かなり低い位置に下がっているそれには、黄と黒の警告が施され、くっきりした印字で「頭上注意」とある。

どうしてこんなことになったのか、ジャーナリストなら地下鉄会社に取材して調べるべきなのだろう。が、経緯はどうでもよい。弁解を聞いても仕方ないし、誰かを非難するつもりもない。これを作った人も作るよう指示した人も、字は読めて数も数えられるに違いない。にもかかわらず、こんなことになってしまう。教育水準とは関係ない。地下鉄よりずっと深いところで何かが間違っている。

2月号で書いたように銀座駅コンコースも天井が低く、背の高い外国人が実際に痛い目に遭っているところを目撃した。同じように危険な場所は都内に他にもあるし、全国にはどれだけあることか。江戸時代に造られたのだろうか。

根本的な誤りや本質的な欠陥に対して、表面的な一時しのぎしか思い付かない。実施できない――そんな現代日本を象徴する、これは見事な〝アート〟である。外見の異様さと意味の深刻さにおいて、ヨコハマトリエンナーレに展示中の全作品を束ねても、この傑作には及ぶまい。

元を正さず末に走り

入れ墨をした人の入場を断る公衆浴場やプールがある。普通の人でもよく入れ墨をする外国から来た入れ墨の人はどうしようもない。締め出したいのは「入れ墨をした人」ではなく「入れ墨をした反社会的勢力」だろう。ならば「入れ墨」なんて隠喩を使わず「反社会的勢力お断り」と本質を言明すればよい。いまだに国内事情しか念頭にないのも非常に悪い。

明治大学と明治学院大学は、日本の受験生や採用担当者にとっては全く異なる大学だ。しかし日本の事情を知らない外国人には区別がつかない。どちらを出ていても、英語で論文の一つも書けないようでは大学卒にそもそも値しないのだが。日本では妙なこだわりの対象になっていても世界的には無意味なことは多いだろう。

「自分たちのサッカー」とかいったって、勝てなければ話にならない。「俺の何とか料理」といっても、例えばフランス料理やイタリア料理の食卓では、料理以上に、ゆったりと時間をかけて会話を楽しむことが大事なのだから、いくらうまくて安くても落ち着けなかったら本質的に失格である。

ビールなら、キレだの喉越しだの曖昧な文句をいくら並べて、季節によって缶の絵柄をいくら変えても、末節のごまかしだ。ビールの価値の本質は、原料は麦芽とホップぐらいで、とにかくよく冷えていて、そして何より安いことにあるのだから。ワインやビールは女子供の飲み物。男が飲んでいたら時間つぶしか社交のためだ。

公募美術展をやる団体で不適切審査があったとかが問題にされていたが、それも美術の本質とは無縁のこと。そういう団体の人たちの作品を検証し、それらに美学的、美術史的にどんな意味があるのかをただし、そもそも芸術家がなぜ団体をつくらなければいけないのかを問い詰めるのがメディアの本来の仕事である。

このごろの東京では現代美術館が子供の遊び場と化し、近代美術館が現代美術展をやっている。美術界の根本的な若返りというか、本質的な幼児化の表れかもしれない。

いでよ美術界のセルジオ

サッカーの辛口評論家として知られるセルジオ越後氏は、日本のサッカーが向上するにはメディアに代表される日本の文化が変わらなければいけないと言っている。選手らを根拠なく持ち上げ、負けても温かく見守るだけの日本のメディア。ワールドカップでグループステージを突破できるかどうかが問題にされる程度の実力なのに「優勝」を公言する選手は、普通の国なら頭がおかしいと見なされる。まして、そんな妄言を好意的に伝えるメディアは根本的に狂っているのである。

17年前の事。東京で開かれたある展覧会について私がかなりきつい批判を外国の美術誌に書いたら、企画したキュレーターから呼び出されてさんざん文句を言われた。「辛口批評は外国では珍しくない」と私が言うと「日本では現代美術がまだ根付いていないから、批判は控えて盛り立てるべきだ」とか。その人は今、都内の有名美術館の館長をしている。辛口批評は日本でいつ解禁されるのか、聞くべきだろうか。

わが国の現代美術が本質的に向上するとしたら、それは美術界にも越後氏のような厳しくまっとうな評論家が現れてこそ、だろう。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。卒論は「オルテガにおける歴史哲学の研究」。読売新聞記者を経てジャパンタイムズ記者に。都政などのあとクラシック音楽、ブラジルポップ音楽、能楽、西洋・東洋・現代美術などを担当。以後フリーランス。日本語と英語で執筆。95年からミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。これまでに「産経新聞」「毎日新聞」「信濃毎日新聞」「朝日新聞」「週刊金曜日」「美術手帖」、「ART AsiaPacific」(豪)、「Art on Paper」(ニューヨーク)などに寄稿。秋田公立美術大学非常勤講師。

せっかくの傑作も、漢字だけでは白い旦那さまたちには分かってもらえないかも。名古屋覚撮影




名古屋覚の管見ギャラリー11 見続ける楽しみ ――ことし前半の展覧会から

(月刊「ギャラリー」2014年7月号)

朝。寝室に付いた浴室でシャワーを浴びる。クローゼットを開ける。たくさんの服と、棚にずらりと並んだ靴。その日の服を選ぶ。その服に合わせて靴を選ぶ。服を着て靴を履き、全身の姿を鏡で確認したら寝室を出る。一日の始まりだ――。

東京・有楽町の第一生命南ギャラリーで7月4日まで開かれている画家・佐藤翠の個展。作品に描かれたクローゼット内の光景は、そんな場面を想像させる。佐藤は日常だけでなく「想像を超える異文化」に出合った際の「衝撃、喜び、高揚」も題材にするという。普通、日本の住宅の寝室で靴を履くことはない。そんな場面を演じるなら玄関から寝室まで靴をつまんで運ぶという奇行をやらねばならない。この絵は異文化の、しかし優雅で自然な光景である。それが衝撃とか高揚を呼ぶとしたら、切ない。

油が無難

棚が堅固な水平線を作り、構図に最低限の規律をもたらす。そこに、細部を適度に追求し適度に省略しつつアクリル絵の具の筆が止まることなく走り、クローゼットの物たちや実物大のカーペット柄を描き出す。神経の行き届いた粗さ、あるいは整頓された弛緩が魅力だ。そうした効果を得る手段として油彩が排除される理由は考えられない。が、日本ではあり得ない光景の虚構性を軽快に表すには、油彩に似て非なるアクリル画はあり得る選択かもしれない。

油絵の具なら潤ったつやを持つ絵肌は、アクリル絵の具だと塗装前のプラモデルのように乾いて味気ない。油彩の表現の幅は極めて広い。なのに油でなくアクリルを選ぶなら、明確な理由が必要だ。ただ佐藤はどこでも目を引く容姿の持ち主。そういう人には嫌われたくないから、許せる範囲の問題は許してしまうこともある。要するに、よほどの理由か自信がない人は、プロとして描くなら油絵の具を使った方が無難ということ。

浴室付きの寝室も日本では夢だ。欧米でも南米でも東南アジアでも中国でも高級住宅は、寝室が4つならそれぞれに浴室が付いているものだ。ところが日本では4LDKの新築マンション(悲しく笑える和製英語)でも浴室はまず1つだけ。各寝室に浴室があれば、現代の忙しい朝に父さん、母さん、兄さん、姉さんが同時にクソをしてシャワーを浴びても大丈夫。そんなことよりオリンピックの期間中、プライバシーに敏感な外国人を空き部屋に泊めておもてなしすることができる。そういう部屋には家主の趣味と財力を示す絵の一枚も掛けずにいられまい。すると美術市場が栄える。

表面だけ西洋風をまねて、ゆとりとかプライバシーとか現代文明の基本には無関心のわが国。基本はイタリア食で風味だけ和風を添えたタラコスパゲティに倣うべきだ。

誤解なのか

佐藤のクローゼットも、東京都美術館で4~6月に大規模展が開かれたバルテュスの絵の中に持ち込んだら切なくはない。「称賛と誤解だらけの」画家と売り込み文句は言っていたが、朝日新聞の別刷り広告にも何が「誤解」なのか書いていない。多分、エロチックな少女ばかり描いたロリコン画家という誤解だろう。

しかし実際、そういう少女が出てこないバルテュスは退屈だ。幾何学的構図で抽象の趣もあるとか評される1960年の風景画も、明るいと同時に寂しい感じを強調した陽光の処理は見事だが、特段画期的な内容とはいえまい。そういう風景画や男の人物画だけでこれほど評価の高い画家になれたか疑問である。むしろレストランの飾りとして描いたらしい猫と魚のイラスト風の絵に、画家の意外な奔放さが見えて楽しい。

日本人妻と一緒に和服を着てスイスのマンション(大邸宅)に住み、裸の少女を描いて「20世紀最後の巨匠」とピカソに言われたというバルテュス。英語をはじめ西洋文化に反発しながら洋服を着て裸の少女を描くわが会田誠は、どんな巨匠になるのか。

画家の美しい生き方

銀座のフォルム画廊で時々個展をする稲毛敦(あつ)という女性美術家がいる。だいぶ前から見続けている。美術あるいは造形芸術という言葉で表される成果の、最も簡素で最も充実した幾つかを必ず見ることができるから。

大きくない画面に、初期には白一色で幾何学的模様を、油絵の具を丁寧に盛り上げて描いていた。この4月の個展では緑やオレンジ色など色彩が登場。幾何学的凸部を持つ画面は陰影を帯びている。それは色の陰影ではない。周囲の光そのものがつくる陰影だ。画面の凸部の効果ではある。が、そもそも油彩には極めて平坦な彫刻という一面もあることを、初期からずっと教えてくれるのだ。

京橋のギャラリー・ビー・トウキョウで毎年黄金週間に個展をし続けている波多野香里は、作品の変化を年ごとに確かめるのが楽しみな画家だ。絵を描くのとは別に、彼女は人命に関わる尊い職業を持っている。登場人物の多くは職場で着想されたものだろう。描写の様式化、色彩の厳選、明暗の激化が、人間に対する画家の視点と思念の深まりを示す。職業人としての成熟と画法の深耕とが軌を一にしている。

絵は売れないかもしれない。国際美術界とも無縁かもしれない。しかし同じ売れないなら、画家といいながら美術大学の教員にしてもらい学生に威張ったりこびたりしてメシを食うより、波多野の生き方の方が人間としてまっとうで豊かで美しい。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。ミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。秋田公立美術大学非常勤講師。

日本など東アジアでの西洋文化受容が生んだ混沌をタラコスパゲティに例えた樋口昌樹氏(美術評論家連盟事務総長)の理論は2001年「亜細亜散歩」展図録で発表された。
近現代日本文化史研究で必見の業績である。名古屋覚撮影

名古屋覚の管見ギャラリー10  グローバルジャパン

(月刊「ギャラリー」2014年6月号)

ブラジルも南東部の高地だと冬の6~7月は結構寒い。たまに霜が降りる。サッカーW杯で日本代表が拠点にするイトゥーもそう。そこから北東部の灼熱海岸レシーフェやナタール、中西部の炎熱湿原クイアバに行って戦うのは、秋の軽井沢で合宿しながら沖縄やタイまで試合に出向くようなものでないか。それで優勝するとはすごい。イトゥーは巨大オブジェで有名な町。あやかったのか。

世界市場を目指せ

先月号で日本の抽象的現代絵画はなぜ世界で関心を持たれないのかと疑問を呈したら「世界で通用しなければいけないのか?」「欧米の評価が全てなのか?」と抗議を受けた。いや実は受けていないが、私の答えはこうだ。「なぜ世界で通用しなくてもいいのか?」

基本的に人は良い物を作れば売りたいし、良い物があれば買いたい。だからTPPなのだ。絵画も同じ。日本と比べて(これも大問題だが)欧米文化圏の住宅は広い。壁に絵でも掛けないと間が抜けて寂しい。あちらでは絵画は贅沢品でなくカーテンやバスマット並みの生活必需品だ。気に入った絵を買ってきて飾り、飽きればオークションやバザーに出すか捨てる。現代絵画だって学芸員や特殊な収集家のためではなく、一般消費者のために本来はある。具象も抽象もお好み次第。絵画市場は世界に広がっている。なぜ売りたいと思わないのか。

特に「絵画とは何か」とか世界中の現代画家に共通の問題意識を持って描くなら、世界中で注目されない方が不自然ではないか。しかもわが国の現代絵画の代表とされるほどの仕事ならば。日本代表絵画が世界で通用しないなら、日本の美術教育は根本的に間違っているのではないか。

「グローバル化」という怪談

「音楽は世界の共通語」とクラシック音楽家などが言う。アジア系音楽家でもそう言う。スポーツには世界共通のルールがあるから、日本人選手も世界で勝負できる。サッカーは英国人がルールを作ったけれど、イングランド代表が一番強いとは限らない。日本代表選手も、W杯では優勝すると言ったらしい。なぜ現代美術でも世界一を目指さないのか。

グローバルなんて気にするな、グローバル化とは米国化のことで、まねすると日本固有の文化が失われるとか言う人もいる。グローバルは分かるが「グローバル化」の意味は分からない。人間はグローブつまり地球に誕生した時から現在まで常にグローバルだから。その時代の技術が許す限りどこへでも行き、欲しい物を奪い、邪魔な相手を討った。国境内に閉じこもるのは例外的状態だった。もともと存在しないものに対して警告しても無意味である。

米国は世界中の人々が来たがって集まってつくられる国だ。わが国からも米国に渡ったきり戻らない美術家が少なくない。「米国すなわち世界」はある意味で正しい。ただの国ではない。世界史では常にそういう国とそれ以外の国々の、2種類の国しかなかった。

日本を開け放て

一方で日本固有の文化を世界に売り出そうという動きもある。和食をユネスコ無形文化遺産に登録してもらったり、日本画家の個展がフランスの美術館で開かれたといって喜んだり。しかし、そういうのは全く無意味だと思う。

例えば日本画を世界に発信するならば、その目的は日本画を世界各地で見て褒めてもらうことであってはいけない。日本の全ての美術大学で、日本画科の学生の少なくとも半分が外国からの留学生になる。外国人教員が英語で日本画を教える。同時に世界中の美術大学に日本画科が設けられ、その国の教員が日本画を教える。そうならなくてはいけない。作品ではなく「作り方」を伝える。ルールを世界に提供する。日本画をグローバル文化にするのである。柔道が既になっているように。

和食も同じ。すしは既にグローバルだ。海外のスシハウスは経営者も職人も日本人でないことが多い。それが理想である。多少の改変は容認する度量も重要。世界中から若いシェフが和食を学びに日本に押し寄せ、日本中の料亭の板前に立つようにならないといけない。彼らは帰国して自分のリョウテイを開くか、日本に留まって店を継ぐかもしれない。フランス料理やイタリア料理で日本人シェフの卵がしているように。

オバマ大統領が東京で一流のすし屋に招かれたら、握っていたのは米国出身の黒人の職人だった、というぐらいにならないといけない。日本の誇りを世界へ売り込むという発想は間違い。逆にわが国を開き、わが伝統を世界に明け渡す姿勢が必要だ。大相撲は意外にもそうなりつつある。それによってのみ、日本人の日本画家も板前も真の世界一を目指せるのだ。

ところでW杯でブラジルに行く人もいるかもしれないが、ビーチやプールサイドでくつろいでいるときなどに、うっかり日本語で「いい気分だ」と言わないように気を付けたい。そのまま完璧な発音のポルトガル語で「ヒェー何てケツだ!」と聞こえてしまう。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。卒論は「オルテガにおける歴史哲学の研究」。読売新聞記者を経てジャパンタイムズ記者に。都政などのあとクラシック音楽、ブラジルポップ音楽、能楽、西洋・東洋・現代美術などを担当。以後フリーランス。日本語と英語で執筆。95年からミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。これまでに「産経新聞」「毎日新聞」「信濃毎日新聞」「朝日新聞」「週刊金曜日」「美術手帖」、「ART AsiaPacific」(豪)、「Art on Paper」(ニューヨーク)などに寄稿。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。


テキーラなんてメキシコの地酒が日本の酒屋で買えるのは、それが米国文化の一部になったから。「米国主導グローバリズム」のおかげである。米国にあまりに近いのは、テキーラにとっては幸運だった。ブラジルの地酒カシャッサ(ピンガ)は米国経由のバスに乗り損ねた。名古屋覚撮影



Seems that it's actually been shut down for some time.

Shutdown time
by Satoru Nagoya

By the time this essay is published, Tokyo will have a new governor, someone from six viable candidates - of whom all but one had conservative platforms. According to polls conducted by the media beginning of April, maverick Shintaro Ishihara was leading the race with a considerable margin over runner-up Kunio Hatoyama, recommended by the Democratic Party of Japan.

Whoever has become the new governor, he will face pressing challenges like tackling financial difficulties, taking precautions against major earthquakes and creating an ideal welfare system for the aged - as most of the candidates actually suggested during their campaigns. For the time being, however, there will be little chance for the governor to show his wisdom in dealing with cultural policies, but, depending on the election's outcome, Tokyo's art people will be affected by this nevertheless.

As shown in his polemic book co-authored 10 years ago, "The Japan That Can Say No," Ishihara, a writer and a former transport minister, has a leaning toward nationalism. Since his days as a Lower House member, he has been regarded a hero of patriotic right-wingers who would like to see the Yokota (U.S.) Air Base, located on Tokyo's western outskirts, returned to the Japanese.

Ishihara campaigned 24 years ago for the gubernatorial office but suffered a dramatic defeat by leftist Ryokichi Minobe. In line with the liberals, Ishihara lately said he would hand over many city-run enterprises to the private sector, because private initiatives can handle business often better than public officials do.

In terms of art enterprises this translates to whether the present state- or city-run museums should become private organizations or not.

Museums under the auspices of the Tokyo metropolitan government, such as the Museum of Contemporary Art Tokyo (MOT), may already be anticipating the possible loss of public support in the near future. This could take place after the planned "privatization" of state-run museums by 2001 (as I wrote in this column in the February issue).

Fears peaked when Chimpei Nozue (he withdrew his candidacy for governor in early March) said he would shut down MOT if elected, an institution with an annual deficit of nearly ¥2 billion. But not only candidates like Nozue oppose the way how city-museums are run nowadays. When I asked some art critics how they felt about his proposal, they categorically said: "Oh, I hope they will shut down MOT immediately!" (probably disapproving MOT's curatorial policies).

If Ishihara is elected, the drive for privatizing MOT and other Tokyo government-run museums will continue as it would with candidates like Yoichi Masuzoe (a liberal) or Yasushi Akashi (a conservative). Eventually, the new confrontation in the art world will be over whether the general public and government should protect art or if art should be left to the goodwill of limited individual supporters. 

In the meantime, where is art heading these days anyway? Bad examples have been seen in exhibitions on feminism and the environment, where art was taken hostage and misused under social and political pretexts.

I personally hope Ishihara will have won the race when you read this column. He may do justice to the arts - more than Hatoyama, who put forth this shameless slogan about a "romantic revolution for Tokyo."

What art today lacks is absolute individuality, independence and strength - enough to keep itself free from yardsticks of a public easily attracted by mediocrity.

(Editor's note: Ishihara won the election handily.) 

Satoru Nagoya is a freelance art journalist living in Tokyo.

(May 1999 issue of "Plant," a Tokyo Journal culture supplement)

名古屋覚の管見ギャラリー9 謝罪と絵画 ――中村一美展を見て

(月刊「ギャラリー」2014年5月号)

便利なスペイン語がある。「セ・メ・カジョー・エル・プラット」。皿を落として割ったときなどに使用人が言う。

訳すと「お皿が私から落ちました」。さらに言えば「悪いのは私の手を擦り抜けたお皿。私はむしろ被害者です!」という意味だ。これなら「皿屋敷」なんかあり得ない。実はこれ、スペイン語圏だけでなく韓国、中国を含む全ての外国に共通の発想ではないか。

日本人の謝り好き・謝らせ好きは異常だ。道でぶつかりそうになっても謝らないくせに、ちょっと大ごとになるとやたら謝る。倒錯的だ。しかも土下座なんていう土人の習慣まで持ち出して。

謝れば謝るほど外国の相手は居丈高に責めてくるのは、近隣諸国との外交でも恒例である。小保方晴子氏はぜひ徹底抗戦して、韓国人とケンカしても勝てる新しい日本人像を示してほしい。

空間をつくる色彩

国立新美術館で5月19日まで開かれている画家・中村一美展は、いろいろな意味で重要な展覧会だ。平日に訪れたためか約150点の展示作品をほぼ独占できた。2012年4月号で取り上げた同美術館での野田裕示(ひろじ)展の際と同じ贅沢を味わったものだ。初期から最近までの作品を集め、回顧展の趣があるのも野田展同様。

中村絵画が一貫して備える最大の魅力は色彩だ。オレンジ色、赤、緑、紫、水色……。油絵の具やアクリル絵の具の鮮烈な色彩。潤う色。光る色。沈む色。線や面に従わず、色彩そのものが前面に出て動き、画面の中に空間をつくる。縦に落ちる。横に走る。斜めに跳ねる。弧を描く。奥に潜る。あるいは見る者に向かって飛び出してくる。かと思うと謎の沼のように静まる。

具象か抽象かというなら抽象に見える。しかし「破庵」「採桑老」「存在の鳥」といった題名を見てから画面に向き合うとどうか。事物の本質を観念的に引っ張り出した抽象ではなく、実体の図像を中村の極度に個性的な関数で変換したもの、つまり具象の最果ての形態と考えたくなる。「紫烈風」という副題が付いた1990年の油彩を覆うのは、文字通り紫の横殴りの筆の動き。こんなに直接的な〝具象〟は珍しい。別の作品を離れた所から眺めて、まるで嵐だと思って近づいたらキャプションに「テンペスト」とあった。

80年代にはマスキングで筆触を抑えたような格子模様の作品もあるが、やがて絵の具は流れだし、色彩が画面に吹き荒れる。縦でも横でも斜めでも、枠を突き抜け、床を破るかと思われるほど速く強く重い、意志に満ちた動きが、大胆かつ堅固な構図に昇華する。壁画のような巨大画を含む傑作の森が2000年代半ばごろまで続く。

模索の果てに混乱へ

そのころまでに「絵画の社会性について深く考えるようになり」「世界を表象し、批判する絵画構造の実現」を目指した中村は室町時代の絵まで参考にして「空間の整合性を意図的に破綻させた」などと解説にある。

が、絵画を鳥になぞらえたそのころ以降の作品は、マチスめいた装飾性をまとう傍らで、それまで持っていた緊張感や攻撃性を失い、あの動きは鈍り、色は濁り、絵の具は力なく垂れ、構図は不可解な細分化を始める。四方の壁をオレンジ色に塗って金色のジグザグ線を引き「鳥」シリーズを並べた展示室は、狂気の芸術を陳列する場所みたい。「ハマヒバリ」のように落ち着きを取り戻した秀作もあるが、柔軟というよりは動揺しているような、けばけばしい割に頼りない画面が並ぶ。

テロや戦争を前に絵画の意味を模索していた、と解説は言うけれど、中村と親しく、08年に無念の死を遂げた、やはり抽象といわれる画家の和田賢一の最後の作品群が示した混乱と、偶然だろうが似ているのである。最新の「聖(ひじり)」シリーズでもアクリル絵の具の軽快さばかりが目立つ。時に人物みたいな影を見せながら、色彩は自由を持て余しているようで、何を描きたいのか分からない。

世界では無用なのか

展覧会は副題で「絵画は何のために存するのか」「絵画とは何なのか」と問う。展示を全て見ても答えはない。もっと疑問なのは「日本の現代絵画・現代美術の、到達点の一つ」とまでチラシでうたっているのに、世界の現代美術の論壇や市場で、中村の仕事は全くと言ってよいほど関心を持たれていないこと。インターネットは残酷にもそれを示す。前述の野田、一昨年この美術館での2人展で展示した辰野登恵子、それに少し年長の堀浩哉など、一般に抽象とされる他の画家たちも同じだ。あと岡本太郎も。

中村は米国の抽象表現主義を研究してそれを乗り越えようとしたという。乗り越えたなら、今どこに居るのか。一方でゲルハルト・リヒターやベルナール・フリーズといった欧州の抽象的現代画家は常に注目の的だ。これは、アクリルで動きに富んだ画面を作る門田光雅ら中村に続く日本の若手画家にとっても大問題だ。いくら頑張っても世界では永久に通用しないかもしれないから。

国内の大きな美術館で回顧展を開けば十分というのが、わが国の現代絵画の実態なのか。国民同士で問い掛け合い、冒頭に書いたように謝り合い、あるいは褒め合って満足している場合だろうか。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。ミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。

世界文化遺産のワショクで最強なのはマーボー豆腐。経済的で刺激的で飽きにくく、中国にも広まった。
日本酒にもよく合う。名古屋覚撮影



Technology just turned the box into tablets.

Art in an idiot box
by Satoru Nagoya

In this series of essays, I have often warned Japanese art people against being blinded by cheap, flashy art trends, especially those from overseas. Three noticeable art events reflecting superficial art fashion came to Tokyo in March - which I didn’t want to overlook. All of them took up television or video as the basis or medium of art, in line with the recent worldwide trend of dematerializing art and transforming it into audio-visual information.

"Akihabara TV" started late last month in a district also popular among foreign visitors to Tokyo: Akihabara "Electric Town." On TV monitors for sale at 20-odd electric appliance stores scattered all over the district, some 25 artists from Japan and abroad showed - with the stores' permission - their respective video works.
Event organizers stated that "Akihabara TV," putting artistic software into hardware in Akihabara, would vitalize the town to become the world’s most exciting place. Artist Masato Nakamura, who led the event, is known for such works as replicas of signboards of major convenience store chains and of McDonald’s logotypes.

It is natural to suppose that such works (and the Akihabara event itself) involved tough negotiations beforehand with companies skeptical about the use of their trademarks or store fronts, and with Nakamura (and his staff) persuading the companies that his art would do no harm to their business.

However, how can art that has been adjusted to get along with industry or society be exciting or radical? In fact, my impression after browsing some of the art in Akihabara was that the works, in terms of both definition and impact, were no rivals at all to ordinary TV images with news or sports content on the surrounding TV monitors.

According to the press release, "ART in Living Room" is a three-day event which was held March 20-22 at the Contemporary Art Factory, a nonprofit alternative gallery in Tokyo’s Sumida Ward. It featured the latest works of video art from Europe: art by some 30 well-known artists including Ilya Kabakov, Douglas Gordon and Christian Boltanski. Each video segment lasted up to three minutes and was shown on TV monitors.

The gallery was decorated to look like a European-style living room, so that visitors could enjoy the short video works as if watching - whether raptly or absent-mindedly - TV commercial films at home. The biggest pride of the event (which was the brainchild of energetic independent curator Emiko Kato) turned out to be that the works were selected by a charismatic young European curator called Hans-Ulrich Obrist, who is the object of inexplicable adoration among many Japanese art promoters these days.

"Spiral TV" proved to be a really tawdry event. Gathering plenty of eye-catching stuff at Spiral Garden in the Omotesando area between March 10 and March 28, it centered on what organizers described as a temporary "TV station." This concept drew attention in Europe two years ago, when Fabrice Hybert, a French artist, turned his country’s pavillion at the 1997 Venice Biennale into a mock TV station, which subsequently won him the country prize. Hybert is now the "producer" of "Spiral TV," which "broadcast" programs to TV monitors in the Spiral building. "Spiral TV" leaflets advertised an open photo session with noted photographer Nobuyoshi Araki shooting semi-nude young women at the event’s opening.

It may be true that one of the latest and most conspicuous trends in art around the world is turning towards transitory images in cathode-ray tubes or on liquid-crystal screens, which wise people once termed "the idiot box." However, real curators and art promoters of insight should know that the most radical, progressive things often appear in an obscure, old-fashioned form.

In the meantime, it is expected that the person who masterminded the "Spiral TV" project, renowned art coordinator Fumio Nanjo (interviewed in the February issue of PLANT) will become one of the directors of a Japan Foundation-sponsored large-scale international contemporary art exhibition scheduled for the year 2001. Thereafter, it might turn into a triennial event. If so, judging from the nature of "Spiral TV," at least part of the 2001 exhibition will be so spectacular that some visitors might be tempted to give it an unforgettable name: "Idiotriennale."

Satoru Nagoya is a freelance art journalist living in Tokyo.

(April 1999 issue of "Plant," a Tokyo Journal culture supplement)