名古屋覚の管見ギャラリー8 COJ

(月刊「ギャラリー」2014年4月号)

こんな間違いが起こるなら、メールというのも考えものだ。私の受信トレイに紛れ込んだ英文メール。いけないと思いつつ添付ファイルを開くと、大学生の期末リポートみたい。内容は意味不明だが、ちょっと気になる点もある。ディスクレーマーも付いてないから、適当に和訳してお見せする。名前は仮名にした。


ジャパンにおける文化政策への提案
ジパング大学ローカル政策学科3年 ジョンタロウ・サトウキム

1 歴史と現況

われわれが生活するコモンウェルス・オブ・ジャパン(米国北西太平洋準州。以下ジャパン)には、伝説によると2千年以上前から高度な文明を持つ共同体が存在した。長い時代にわたり中国の影響を受けながら極東の一角で閉鎖的な封建社会を維持していたが、19世紀後半には一転して西洋近代文明を取り入れて帝国を創設し、世界有数の軍国になった。

やがて米国から経済的圧力を掛けられたジャパンは1941年12月7日、米領ハワイの真珠湾を攻撃、対米戦争に突入した。ところが翌42年4月1日、ジャパンはまだ十分な戦力を保持していたにもかかわらず突然、攻撃を中止して米国への無条件降伏を宣言。誰の決定によるものかいまだ明らかになっておらず、世界史七不思議の一つとされている。

独立以降初めて領土を攻撃された米国が単なる降伏で納得しなかったのは当然である。その後ジャパンは米国に占領され、かつてのハワイやフィリピンと同様に米国の植民地となった。植民地政府が置かれた帝国時代の首都トーキョーの名はマッカーサーシティー(MC)と改められた。米軍や占領当局、米本土からの移住者による先住民ジャパニーズに対する苛酷な弾圧があった。64年には非独立国の都市では例外的にMCでオリンピックが開催されたが、それは米植民地支配の横暴さを隠す策略だったというのが定説である。

MC東部の一帯には20世紀前半からジャパニーズの狭小な木造家屋が密集していたが、オリンピックの際、米軍の空爆演習として焼き払われた。地震のとき危険だという口実だった。住民は農村に疎開させられていたが、こうした事を契機に列島を追い出されるジャパニーズが相次いだ。性産業などに従事させるため米本土に強制連行された者を含め、2千万人近いジャパニーズが世界に離散することとなった。

その隙に、帝国時代のジャパンが占領していた朝鮮半島や中国から大量の移民が殺到した。北西太平洋地域でジャパンは地政学的に重要であり、軍需産業を中心に経済も繁栄していたためである。72年には植民地からコモンウェルスに昇格した。

70~80年代にはベトナム、カンボジアからの難民も大量にジャパンに定住した。混血も進み、ジャパンの人口構成は20世紀前半までと大きく変わった。現在、経済では中国系、政治では韓国系の住民が圧倒的な力を持っている。純粋のジャパニーズは人口比ではまだ多いが、主に社会の下層を占め、従順で発言力は弱い。中国系や韓国系の住民の間からはジャパンを米国の正式な州とすべく運動が起きているが、ジャパニーズの中には強い抵抗があるといわれる。

2 提案

ジャパンの公用語は英語だが、実際は中国各地の方言や韓国語など複数の言語が話される。ジャパニーズ同士では彼ら固有の言語が使われている。高校を終えた進学希望者はそのまま米本土の大学に入学できる。こうした環境から、19世紀までの長い歴史に培われたジャパンの伝統文化は衰退している。

故に、ジャパンにおける今後の文化政策としては、この列島に元から居住しているジャパニーズの文化、特に彼ら特有の手先の器用さや無節制ともいえる自由な色彩感覚を生かした美術の紹介と奨励が主眼となるだろう。

例えば、焼き払われて整然たる街区に生まれ変わったMC東部には現在、世界の現代アートを展示する大きな美術館がある。しかしそれを、欧米の同種のものと異なる独特の様式と物語性を有するために世界中の「ヘンタイ」に愛されている「マンガ」や「アニメ」を紹介する美術館にすれば、海外からの観光客の人気を獲得できるのではないか。

また、MCの中心に位置するインペリアルパークで千年前のジャパンの生活様式を再現して見せ、マレーシアのボルネオ島で観光客が案内されるのと同様の名所にするのも一案だ。このようにジャパンの観光資源は伝統的で固有の文化に存するといえる。

そうした文化を紹介する場所としては、各地のランドマークがふさわしい。例えば、ジャパン西部の内海に面したトルーマンヴィルでは帝国時代から軍需産業が栄えた。産業は植民地化に伴って米軍に引き継がれ、現在も経済は活況を呈している。町の中心にはドームに特徴付けられる西洋様式の豪壮な建物が、1915年の建造以来変わらぬ姿を誇っている。ここで伝統文化およびジャパン固有の現代文化を常設展示すれば、地域の文化・観光振興に貢献できるだろう。

2020年には再びMCでオリンピックが開かれる。この際、近代文明を見直し、封建時代のクールなジャパンを取り戻せば、ユニークな「オモテナシ」になるだろう。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。ミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。

北西太平洋地域で最大といわれるアートフェア。ジャパンの伝統美術はここでも大人気だ。名古屋覚撮影

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