名古屋覚の管見ギャラリー5 続「空気」と美術

(月刊「ギャラリー」2014年1月号)


思い出すたびに申し訳ない。十数年前の事。イタリア・ミラノから美術雑誌編集幹部が2人ほど来日した。私を含む日本人数人と、東京・南青山で当時(今もか)最も目を引く場所にあるカフェに入った。夕方だった。注文を聞かれたイタリア人らは口をそろえて「サケ」。しかしサケはなかった。イタリアワインならあるらしかった。日本人がミラノのバールで胸ときめかせてスプマンテを頼んだら、そんなものはない、スーパードライはいかがかと返されたみたい。

柔道、すしと並んで日本酒はとっくにグローバル文化である(日本画は違う)。ジョン・ゴントナーといえば米国の有名な日本酒ジャーナリスト。日本移民の多いブラジルでは戦前から造っていて吟醸もある。少し甘いが、ブラジル産の甘い醤油(九州出身者の影響か)にざぶりと漬けたイチゴやマンゴーの巻きずしによく合う。サンパウロやリオデジャネイロだと、まさかと思うような店にもサケやそれを使ったカクテルがある。

このまま外国人をもてなすのか。バーだろうとフレンチだろうと、酒類を置く日本の全ての飲食店は、すべからく日本酒をメニューに載せるべし。美術展オープニングでも安ワインなどでなく、ほどほどの日本酒を供すべし。ちなみにわが国はウイスキーの本場の一つでもある(先月号小川英晴氏座談会参照)。

政治家としての審査員


酒場で隣に座ったのは美術展逍遥家。

 通じなかったジョークが起こした騒ぎのせいでシェル美術賞審査員をやめさせられたけど、かえってよかったみたいに言ってたね。酸っぱいぶどうだな。

 いや正直、ほっとした。物書きとしての信条があるから。美術に対して価値判断を下すのは自分の文章によってのみ、というものだ。審査員の権威によってではない。

 でも推薦制公募展で作家推薦人はしていたでしょう?

 推薦は記事で紹介することの延長みたいなものだから。トーキョーワンダーウォール公募では審査員を引き受けたけど、それは特別の理由による。審査員とは権威によって賞金を分配し、それで美術界に一つの価値観を提示する人。要するに政治家だ。そのことを自覚しているのかな。

しかし審査員ほど恥ずかしい仕事はないね。偉くもないのに偉そうに、ワンダーウォールの表彰式では壇上に座らされて。引きつったよ。まともな神経じゃできない。

顔が見える公募とは


 昭和シェル石油とか損害保険ジャパンとか企業が主催する公募はろくな作品や作家を発掘できていない。世界に注目され、その後の絵画の方向を変えるどころか、国内でも関係者以外に知られず、1年と話題にならない。駄目なのは作家か、美術大学などの教育か、審査員の眼力か……。

 全部当たるけど、何より、波風立てるのを嫌い周りと同調するのを良いとする日本社会の「空気」じゃないかな。震災の前から、時代の雰囲気に合わせたように暗くて寂しげ、不安げ、不気味な絵がよく賞を取っている。

 今回のシェル美術賞もそれだな。描く方も賞を出す方も「空気」しか読めないクズ。「世間を騒がせる」のを悪いとするバカ。「空気」をぶち壊すことこそ現代芸術の使命なのに。日本をぶち壊せ!

 酔ったな。それと「個人」の顔が見えるかどうかね。

 審査員は紹介されてるよ。どの公募にも出てくる人がいるけど。

 そういうことじゃなく、公募を主催する人物の個性が授賞方針などに明確に表れているかということ。ワンダーウォールでは政治家で創設者かつ審査員長である人のそれが明らか。その人に私も投票した以上、協力しないわけにいかなかった。

それでもワンダーウォール含め各公募の受賞作品を見ると、主催企業か世間の「空気」をうかがって、なあなあで決めたとしか思えないことが多いんだな。


疑問の〝メセナ〟


 公募は個人が主催しろというのか。まあ、企業主催じゃ人物の個性なんか出せないからね。ところで現代絵画の公募展といえば第一生命保険が20年前から協賛しているVOCA展が一番有名。あんたがずっと推薦委員をやっているやつ。

 ことしの推薦委員はやっていない。第一生命保険は有楽町の本社ビルにギャラリーを持っていて、時々VOCAの受賞者の個展をやっているね。

 でもギャラリーが開いているのは平日だけ。それも正午から午後5時まで。先月までやっていた内藤絹子展はついに行けなかった。一体、誰に見せるつもりなんだろう。

 会社が買った受賞作品をロビーに展示しているけど、薄暗くてまともに鑑賞できない。絵画への愛情が感じられない。仕方なく展示しているみたい。社会貢献とか言っているが、私が画家なら怒る。

 「企業メセナ」だろ。日本的な。

 ローマ帝国の学芸保護者メセヌ(マエケーナース)は個人だったよ。企業に「メセナ」はできない。

 で、VOCAはどうなの?

 20年ぶりに縁が切れたから自由に言えるけど、あれこそ日本の現代美術の悪とバカの縮図だ。

 詳しく聞こうか。

 またにしよう。7時から1杯300円じゃ飲めなくなるよ。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。ミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。

日本の酒場で満足できるもり方なのは、こういうコップ酒だけ。
ただし、こぼす必要までない。名古屋覚撮影

名古屋覚の管見ギャラリー4 「空気」と美術

(月刊「ギャラリー」2013年12月号)


7時までなら何でも1杯300円で飲める銀座の店。3ショット目のバーボンをすすりかけたら、顔なじみの美術展逍遥家が入ってきて隣に座った。ほぼ満員。なぜそんなに安く酒を飲みたい?

偏見に押されて


独りで飲むつもりが、いろいろ聞いてくる逍遥家。

 ことしも終わり。いい展覧会はあった?

 皆が言う「いい展覧会」も私には良くないことがあるからね。ただ水戸芸術館で10月末までやっていた曽谷朝絵展は、いろんな意味で重要だった。日本の若手画家でここ10年ほど一番期待されていた人の、初の大規模個展だったから。絵柄の珍しさや細かさではなく、色や形や明暗や筆触の新しい組み合わせで絵を描く人のね。

 で、どうだった?

 複雑だ。曽谷さんの画家としてのピークはVOCA賞を取った2002年ごろまでというのがはっきりした。虹色の光の中の浴槽を描いた、鮮烈なあの絵でね。以来、内容にも画法にも進境はない。本人もそれを分かってか、展示ではいろんな色を反射するシートを壁や床に貼るとか、天井のミラーボールが映像を散らすのとかインスタレーションを試みていた。ミラーボールのは暗くて色も濁って全然きれいじゃない。シートのはきれいだけど、白い床が汚れるからか鑑賞者に靴を脱がせる弱さが難。

 彼女なら虹色の浴室風景だけ描き続けてラッセンみたいな人気インテリアアーティストになれたかも。そっちに行かないでインスタレーションに挑んだのは偉いと思うけど。

 そういうのを偉いと言うのも、ラッセンなどを軽視するのも現代美術界の偏見だよ。インテリアアートなら才能はあるのに、偏見のせいで無理に「現代美術」にこだわるなら痛々しい。「空気」に押されて本来の自分を殺しているようで。

作品売りたくない?


 同じころ東京都美術館でやっていた福田美蘭展は?

 気が付いたのは第一に、福田さんの画歴の中ではかなり重要で面白い作品だと思うのにキャプションでは「作家蔵」となっているのが多いこと。

 去年、国立新美術館で辰野登恵子の展示を見た時に同じことを感じた。

 不思議だね。本当に重要で面白い作品ならすぐにも売れそうだけど。売りたくないのかな。

第二に、9・11後の作品でブッシュ大統領がイエス様から報復攻撃をやめるように?説得される絵があったでしょう。あれに表れた福田さんの世界観のあまりの安っぽさ。テレビの左翼芸人並みだ。

第三に画力の問題。写実力が、彼女のラジカルなコンセプトを実現するには足りないように見える。古典のパロディーとか実在の人物の描写には、そういう力が不可欠なのに。ブッシュはすぐにブッシュと分からないし、ベラスケスの名作を再構成した例の作品も、タッチがベラスケスに似ていないので面白くない。しかもアクリル絵の具を使っているので、さらにうそっぽく見えてしまう。ブッシュとイエスの絵なんて、本格的な油彩かつ迫真の写実で描いていたら平山郁夫のあの3聖人の〝傑作〟並みに衝撃的だったかもしれないのに。

 でも新聞は褒めていたね。福田さんはもう長いこと発表していなかったから終わっちゃったかと思っていたけど。美術界もマスコミも、何かをこつこつ続けている人には優しいね。地道がいい、愚直が偉い、みたいに思わせる日本の「空気」かね。息の長い芸術支援にはいいんじゃない?

美術より風評が心配


 いや。日本の美術を駄目にするのはその「空気」だよ。美術家以外の美術関係者や支援者の側のも含めてね。そういえば、ことしは面白い事があった。シェル美術賞ってあるでしょう。

 企業主催の美術公募では一番長い歴史を持つというやつ?

 そう。実は2月ごろ審査員長の本江邦夫さんから突然「審査員やって!」と言われて。

 引き受けたの?

 美術についての私の考え方の大部分は本江さんの影響によるもの。恩人だから断れない。「いろいろ考えた末に」私を選んだとおっしゃるし。

 でも結局やらなかった? まさかあの、4月号のエープリルフール騒動の関係で?

 その通り。際どい変化球のつもりがデッドボールになっちゃったような件だけど、誰も実害を被っていないはず。ネットの雑魚が騒いだらしいけど。

主催者の昭和シェル石油は私を喫茶店に呼び出して書面で審査員就任を依頼していたのに、騒ぎのあと電話で「社内で決まったことだから」と、こっちの言い分も聞かず一方的に白紙にしてきた。私に対するコンプライアンスはゼロだったね。大体、審査員長の見識よりネットの風評にこだわって業務方針を変更するとは。

 審査能力には関係ない話でねえ。確かにこの10年ぐらいのシェル美術賞展はひどい。VOCA展の超劣化版みたいな。01年の曽谷ぐらいでしょう、シェルでグランプリ取って今も要注目の画家は。問題作も出ないのは応募者の質だけでなく、主催者の姿勢のせいもあるんじゃないの。「空気」を気にする臆病会社に現代美術支援なんて無理だよ。

 1日座って、目の前に出される絵をどうこう言うだけで20万円。あと半日、表彰式とかに出るだけで日当2万円だって。そんなふざけた仕事を引き受けたら、金に苦しむ美術家たちに合わせる顔がないね。
(続く)

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。ミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。

銀座で金を払って飲んで、損した気にならないのはここだけ。名古屋覚撮影

Maybe I made too much fuss.

Rotten Roots

by Satoru Nagoya

Judging from what I have witnessed so far, 1999 could see the sunset of criticism in contemporary art.

Let me explain: In May 1997, I wrote a critical review on a Chinese contemporary art exhibition for an internationally known English-language art magazine.

The exhibition, which took place at a Tokyo art space, was curated by a Japan Foundation official-turned-independent curator whose name is well known to the Japanese contemporary art world and some overseas art communities as well. A few days after the magazine came out, the renowned curator summoned me to his office in Daikanyama and rebuked me for the review. His assertion was: "With such an unfavorable review, the artist will have to kill himself back in China." (The treatment at his office was something that might anger some human rights activists: just a few pieces of the incumbent Japanese prime minister [cold pizza] during the more than three-hour trial that lasted until 11:30pm.) 

In the autumn of last year, I was urged to modify some "undesirable" descriptions in my review of an exhibition held at the pompous ICC gallery near Shinjuku - a space dedicated to high-tech art. The review was for a magazine issued by a publishing house affiliated to the gallery’s sponsor and the mammoth telecommunications company NTT. The censorship was apparently ordered by some of the gallery curators who pressed the magazine’s editorship not to publish anything adverse to the gallery’s projects or the sponsor company’s reputation. 

This year the situation seems to have turned only for the worse when I encountered the following disgraceful case. Three young British artists currently studying at an art university near Tokyo on Japanese government scholarships were planning a collective exhibition at a nonprofit gallery in Tokyo for this November. They asked me for a text to be included in the exhibition catalogue. After I handed in my text, however, they declined to use it, apparently because they felt in the text I did neither praise their work enough nor properly mention the ongoing "Festival UK98" - in which their show was to take part - as a significant event for cultural exchange between Britain and Japan. They said it was "very important" for them that the catalogue text promotes their activities. That’s fine. The shame is that they obviously had no restraint in asking an art journalist/critic for a text to be used as a PR material.

The first case, which involved Mr. F.N., represents an attitude typical of prestigious curatorships or officialdoms that admit no criticism in their projects under hypocritical reasons. The celebrated Mr. F.N. with his bureaucratic mind is even known as "art critic" in Japan. 

The second case was a good example of what is brought about when companies sponsor art projects just to improve their corporate image.

The last case showed that the tendency of confounding criticism with propaganda is affecting artists at all levels, not only Japanese but also Westerners. It also indicates that artists these days become too timorous before their sponsor institutions - in this case, namely, the British Council. Strangely enough art is becoming servile to the cause of international cultural exchange.

In sum, these examples reflect the present-day rotten relationship between art critics and artists: Most of those who profess art criticism are becoming generous theoreticians or mere copy-writers for artists they like or for artists they are asked to write about. In effect, many "art critics" in Japan are actual museum curators, and their "criticism " is part of their promotional activities for the artists they are dealing with. So if a critic writes something really critical, it comes as a surprise to many. It also implies, that even private or public support for art can sometimes impede art criticism.

The reality is that, in a worldwide trend, many critics and even editors of some first-class art publications are serving as exhibition curators or commissioners too, incorporating artists into safety zones protected from their own critical activities. The most established Japanese monthly art magazine even assigns reviews to an actual gallerist. Thus, it’s natural that reviews become reduced to mere propaganda.

In this past October, a congress of the AICA (French acronym for International Art Critics’ Association) took place in Tokyo. Although it took up such issues regarding contemporary art as tradition, identity and high technology, the event couldn’t justify the decay of the critical roles of the participants from Japan and abroad.

It seems that the decline of art criticism, which has already captured the West, is reaching Japan. So, as a challenge for next year, I call on the few "real" critics to take a preventive step, to save art criticism and perhaps launch a new critical movement from Tokyo. To start with, let’s keep an uncompromising critical eye on the work of foreign artists who come and exhibit here at gallerists’ or curators’ - or critics’ - invitations.

Satoru Nagoya is a freelance art journalist living in Tokyo.


(December 1998 issue of "Plant," a Tokyo Journal culture supplement)

名古屋覚の管見ギャラリー3 オリンピックで文明開化

(月刊「ギャラリー」2013年11月号)


日本もようやく文明国になったかと、グーグルマップのおかげで錯覚する。スマホに目的地を表示させ、たどり着くことができるようになったから。しかし、歩道もない東京の裏町などスマホとにらめっこで歩いていたら車が危ない。放射線よりずっと危ない。

実は、日本にはいまだに「住所」も「番地」もない。これらがある文明国の町なら、グーグルなんかないころから、外国人でも字が読めれば行きたい建物まで簡単に行けたのである。

日本人にも便利に


難民支援で知られる評論家の犬養道子氏が、このことを30年以上前に痛烈に指摘している(中公文庫「セーヌ左岸で」)。私もまねれば「銀行の前を進んで、コンビニの角を曲がって……」などと地図を描いて説明しなければならないのは、住所でも番地でもナイ。

どうすればよいか。まず、今の日本の住所・番地を全部いったん白紙にする。その上で全ての道に名前(番号でもよいが)を付ける。道に面した全ての建物の玄関に番地を付ける。ある規則(皇居に近い方から遠い方へとか)に従い番地の数字が増えていく方向に向かって左手が奇数番地、右手が偶数番地。番地の数字は基点からのメートル数。全ての街角に、交差する道の名前とその地点の番地を示す標識を設ける。欧州も米国も中南米もオーストラリアも、住所・番地といえば大体この方式だ。道の名前と大体の位置さえ地図で頭に入れておけば、あとは番地を見ながらぐんぐん進め、間違えようがない。子供のころ住んでいたブラジルでも、私は道の名前と番地を頼りに、友達の家に初めてでも問題なく行けた。これまで欧米圏で道に迷ったことがない。異文化人にも易しい、そういう分かりやすさを「文明」というのである。

「欧米式」とか全く関係ない。これは世界で唯一、一番便利な方式なのである。関東大震災、敗戦と更地になる機会があったのに本物の番地をつくれなかった東京。せめてオリンピック関連施設周辺だけでも、やってみたらどうか。外国人に便利なことは日本人にも便利なのだから。

これも犬養氏がかねて厳しく批判している(同「アウトサイダーからの手紙」他)ことだが、日本のように騒音が野放しにされている先進国はない。廃品回収車や選挙宣伝車の大音声を公害といわず何というのか。街路での拡声器の使用は、警察や消防以外は全面禁止すべきである。

また電車や駅の、日本語だけのアナウンス。日本語が分からない外国人は「本日は傘の忘れ物が……」(子供相手じゃあるまいに!)とかいうのを、地震か放射線の警報と勘違いして不安にならないだろうか。英語で要らないアナウンスは日本語でも要らないのだ。

ついでに原則、全ての建物の壁は白、屋根瓦は黒、看板は禁止にできれば〝視覚騒音〟もなくせる。民度が高ければ自発的にそうするはずだ。

お通し禁止条例を


ところでいいかげん、飲食店を全面禁煙にすべきである。今どきたばこを吸う人は知性、自己管理力、他人への配慮、全てに欠ける蛮人だ。

それに「お通し」。注文していない物で金を取るのは、分かりにくさの極みだ。それも客の好みなど考えもしない、冷めてまずい、ちっぽけな代物で。外国のレストランでも始めにパンやオリーブを持ってくることがあるが、まともな店なら断ることができるし、これなら金を払ってもいいと思うほどパンも熱々、オリーブもどっさり。

店の都合しか頭にない、けちな商法は日本の恥だ。普通の定食屋でも無料でお代わり自由のおかずの小皿がどっと並ぶ韓国こそ食の先進国。見習うべきだ。「東京都お通し禁止条例」でも公約するなら、自民でも共産でも私は一票を投ずる。喫緊の課題だから。

「分かりやすさ」と「静かさ」は文明の2大条件である。拡声器の騒音にイラつき、道ともいえない狭い道で車にひかれないかとビクつき、グーグル様の世話にならないと初めての画廊にも行けないような国には、芸術や文化の基盤がないともいえる。何をやっても中途半端に終わるだろう。

オリンピックという外圧を、住みよい本当の文明国日本をつくるため徹底的に利用すべきだ。外国人にも日本人にも分かりやすい番地や乗り物。静かな街。それが本当の「おもてなし」だ。発想の転換が必要ではないか。

原発で芸術ユートピア


発想の転換――。原発といえば反対という人は多い。普通の人ならそれも無理ない。しかし芸術家や芸術関係者なら、ちょっとは創造性を見せ、誰も考えたことのない未来を語れないものか。

例えば、稼働中の原発の周囲の住民一人一人に、年齢や所得に関係なく一律、月額15万円ぐらいか、それだけで何とか生活できる程度のベーシックインカム(BI)を一生にわたり支給する。その代わりBI対象地域では公的健康保険も年金も雇用保険も、もちろん生活保護も一切廃止。BIの目的は弱者保護ではなく、役人撲滅で究極の「小さな政府」を実現することなのだから。皆が使う電力のため、確率が非常に低いとはいえ事故の危険と共に生活する人々には、それぐらいの恩恵を施してよかろう。

ただ、起こるかどうか分からない事故のことさえ気にしなければ、一生、嫌な仕事をしないで好きなことに打ち込んでいられる。国内ばかりか世界中から芸術家志望者や、ただの怠け者が殺到するだろう。BI目当てに出生率が上がるかもしれない。面白い実験になるだろう。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。卒論は「オルテガにおける歴史哲学の研究」。読売新聞記者を経てジャパンタイムズ記者に。都政などのあとクラシック音楽、ブラジルポップ音楽、能楽、西洋・東洋・現代美術などを担当。以後フリーランス。日本語と英語で執筆。95年からミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。これまでに「産経新聞」「毎日新聞」「信濃毎日新聞」「朝日新聞」「週刊金曜日」「美術手帖」、「ART AsiaPacific」(豪)、「Art on Paper」(ニューヨーク)などに寄稿。秋田公立美術大学非常勤講師。美術評論家連盟会員。「シェル美術賞2013」審査員に任命されるも、本誌4月号小欄の“エープリルフール騒動”で即刻クビに。


居酒屋のベーシックアウトゴー「お通し」。
客をなめているようなのは国公立美術館企画展の多くと通じる。名古屋覚撮影

They seldom learn.

Innocence, Worship and Prestige
by Satoru Nagoya

In the last column I mentioned Tokyo art promoters’ "expensive" overseas tours that, in return, often usher in too generous work opportunities in Japan for foreign artists or curators. The results of the latest bout of such tours are now seen in town.

At the Watari-um museum in Jingumae, French artist Fabrice Hybert, whose work in the French pavilion won the Country Prize in last year’s 47th Venice Biennial, is exhibiting in a group show titled "To the Living Room." Also included is Christine Hill, an American artist who took part in the documenta X exhibition in Kassel, Germany last year to considerable attention. Watari-um’s news release for the show underlines the presence of both artists in major European art events, which is a typical pattern of this museum how it illuminates its exhibitions. As this column is not intended for reviews, I won’t discuss the works here. (I just point out that Hybert and Hill use video as part of their respective works.) But I wonder if, in this case, Watari-um’s nice single-ticket-for-multiple-entry system can encourage the viewer to come back and see the works again, despite the showy billboard featuring the big names.

Meanwhile, at the Spiral Garden in Minami Aoyama, video works by South African artist William Kentridge, Swiss Pipilotti Rist and others are on display in a group show called "Shoot at the Chaos - Age of Electronic Image." Here again, Kentridge and Rist are artists who gained renown already at last year’s documenta and Venice exhibitions, where curators of Watari-um and Spiral were seen at the opening. Apparently they were simple enough to believe what they experienced in Europe was of the latest fashion in world art. Of course, the latest fashion is not always significant. Nor does it mean that Tokyo art fans can see work by the world’s rising artists immediately. Kentridge was already a much-touted artist at the 1996 Sydney Biennial, and Rist was an artist representing Switzerland at the 1994 São Paulo Biennial. But that’s no drawback since many curious and docile Japanese art fans will anyhow hail big-name foreign artists from big Western art events.

It won’t be fair to blame the Japanese curators (and fans) only, for their innocent worship of prestige. Western curators too, when they are to select Japanese artists for their exhibitions, seem to rely on a handful of art consultants in Japan who are taken prestigious. At least the works of Kentridge and Rist are captivating in some way. If Tokyo exhibition-goers are careful not to get hypnotized in front of the video monitors at Watari-um or Spiral, they might even discover that they have more critical eyes than the curators.

Satoru Nagoya is a freelance art journalist living in Tokyo.

(November 1998 issue of "Plant," a Tokyo Journal culture supplement)

名古屋覚の管見ギャラリー2 美術界英語公用語論

(月刊「ギャラリー」2013年10月号)


私が大学を出て読売新聞社に入った23年前、日本新聞協会発行の記者の手引書に「新聞倫理綱領」(現在は新しくなっている)が載っていた。その中に「人に関する批評は、その人の面前において直接語りうる限度にとどむべきである」という条項があった。うまいことを言う。日本では、人の面前でその人の批評、特に批判をすることなんてほとんどない(外国でも普通はないけれど)。

朝日新聞社が主催する醜悪な夏の高校野球をなぜ読売新聞が大きく、美談入りで取り上げなければいけないのか、とか納得いかずにすぐ辞め、ジャパンタイムズに入って専ら英語で書くようになった。

英語で書くということ


ロンドンで経済学博士課程にいるという人からメールをもらった。いわく、美術館の民営化を研究している。日本の国立美術館の状況を教えてほしい。そういえば1998年から翌年にかけて1年間、トーキョージャーナルという英語の月刊誌(当時)に、日本の現代美術界についてコラムを連載していた。国立美術館の独立行政法人化案をめぐる美術界の反応を取り上げた回もあった。その回を含めた何本かが、当時ジャパンタイムズに美術批評を書いていたモンティ・ディピエトロ氏の好意でウェブに上げられた。

読み返してみると、一昔以上前に書いたものなのに古くない。しかも同じ内容を日本語で書いていたらかなり反発を買っただろうと思われる、われながら辛口のものばかり。日本語では書きにくくても英語なら書けることは確かにある。だから翻訳では駄目なのである。辛口批評は、日本語ジャーナリズムでは嫌われても、英語ジャーナリズムでは編集者の目を通って掲載されることがあるのだ。

批評のすさまじいギャップ


ことし1月、ジャパンタイムズに、ある展評が載った。C・B・リデル氏によるもので、取り上げられたのは東京都現代美術館が2月初めまで開催した若手作家のグループ展「MOTアニュアル2012 風が吹けば桶屋が儲かる」。これが英語でもまれに見る酷評だった。リデル氏は出品作家の一人、森田浩彰の展示の一つを「ゴミのスモーガスボード」とバッサリ。同じく奥村雄樹は「(美術家なんかじゃなく)幼稚園の先生にぴったり」。田中功起の映像は「ユーチューブにでも投稿すればよい」とこき下ろした。

「この展覧会の主な成果は、私に、東京都現代美術館が美術館であることを忘れさせたこと」と述べ「この作家たちがこうしたインチキを、美術館にお金を出す人たちに対してやらかさないことを、美術館で働く人たちのために願おう」と結んでいる。英語らしい皮肉である。「美術館にお金を出す人たち」とは都民あるいは納税者のこと。要するに、こんなふざけた展覧会をやっていたら東京都現代美術館はつぶれてしまうぞ、鑑賞者・納税者をなめるな――ということなのだ。「美術館で働く人たち」や美術館に関わる都の役人たちは、日本を代表する英字新聞にここまで書かれて平気なのだろうか。英語だから普通の日本人は読まないとでも思っているのか。

現代美術の受け止め方は人それぞれ。英語人でも、この展覧会を面白いと思った人はいるかもしれない。問題はそこではない。こうした厳しい批評が、日本語の新聞や雑誌にはまず掲載されないという現実である。この展覧会に限らない。日本語しか読めない人は、しばしば展覧会主催者側である新聞の美術欄の〝大本営発表〟や、作家やキュレーターとなれ合った美術雑誌のちょうちん記事しか読めない。これではまともな作家も鑑賞者も収集家も育たないし、美術市場は木鐸を失って腐る。

ちなみに、田中が出品する今回のベネチア・ビエンナーレ日本館が、どこかの小国と一緒にビリッケツの表彰を受けたといって大喜びのわが国の美術ジャーナリズムの程度の低さは笑える。99年の同ビエンナーレの際、ブラジルで最も有名な総合週刊誌のコラムに、同国のコラムニストのディオゴ・マイナルディ氏は「ブラジル館の展示は古くさく陳腐で最悪」と書いた。酷評が普通なのは英語圏だけではない。

日本代表が負けても温かく見守る日本の大甘サッカージャーナリズムと、セレソンが勝っても勝ち方が悪いと批判することがあるというブラジルの激辛サッカージャーナリズムとの比較、それぞれの結果の類比も面白そうだ。

日本の美術界の公用語は英語とし、批評は全て英語で書かれ、読まれるようにでもしないと、日本と世界の批評のギャップは埋められない。たいこ持ちなんか、いくらいたって、文化は成熟しない。

英語書けない教授はクビに


英文現代美術誌フラッシュアートの7-9月号に会田誠のインタビューが載った。いわく、ニューヨーク滞在中も英語が上達せず、現地の友達もできなかった。英語が下手なのを逆手に取ったパフォーマンスをしたとか、世界と距離を置くためには英語ができなくて助かったとか。恥ずかしいインタビューだ。現に米国その他で英語を駆使して活躍中の日本人美術家もたくさんいるという事実一つで、会田の情けなさが引き立つ。

自然科学では英語で論文を書き国際的学術誌に投稿することで世界に認められる。日本人でもそうした分野の学者は英語で書いている。専門は何であれ英語で文章を書けない人に、国から助成金を得る最高学府で人を教える資格はない。美術大学でも英語が公用語になって困る教員は即刻、辞めるべきである。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。卒論は「オルテガにおける歴史哲学の研究」。ジャパンタイムズ記者として都政などのあとクラシック音楽、ブラジルポップ音楽、能楽、西洋・東洋美術などを担当。以後フリーランス。95年から「Flash Art」日本通信員。これまでに「産経新聞」「毎日新聞」「信濃毎日新聞」「朝日新聞」「週刊金曜日」「美術手帖」、「ART AsiaPacific」(豪)、「Art on Paper」(ニューヨーク)などに寄稿。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。この夏の集中講義では学生たちに、英語による激辛美術批評を読んでもらった。
開学早々の「客員教授」会田誠頼み。世界に雄飛(女子ばかりだが)する才能は育つのか。
秋田公立美術大学で名古屋覚撮影

名古屋覚の管見ギャラリー1 開かれた日本の美術

(月刊「ギャラリー」2013年9月号)


「売れている作品が良いとは限らない。しかし良い作品は必ず売れる。いつかは――」

作品が売れない。展示の機会もない。それで悩む若手や中堅の美術家に私が掛けられる言葉は、これしかない。良い作品が見いだされて売れるには、一人の目利きがいても駄目。駆け引きする画商たち、目ざとい収集家たち、それにオークションなどの場が必要だ。そういう場が「市場」である。美術市場こそ、美術家たちの究極の居場所なのだ。

真の対立軸は


夏に参院選があったが、どうもすっきりしない。選挙での主な論点は、原発と電力保障、改憲と安全保障、それに環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加の是非だったろう。原発については、反対でない自民党の圧勝で答えが出ている。普通に賢い、多くの人たちの声だ。改憲は、憲法と現実との整合美のためにはよい。しかし中国やロシアと組むわけにはいかず、独自防衛も難しいなら、アメリカとの軍事同盟を維持するのが日本の唯一の道だろう。改憲で現実が動くわけではないので、喫緊の課題ではない。われわれの今後を本当に左右する対立軸は、TPPをめぐるものだと思う。

南米チリ、ニュージーランド、ブルネイ、シンガポール。ワインとかチーズとか石油とか頭脳とか、自国の優れた産物を輸出するため大きな市場が欲しい、太平洋の周りの小国群が創設したTPP。アメリカの参加は、それらの国々の望みに沿うことだった。良い物を世界でたくさん売りたい。世界の良い物を安く買いたい。生産者・消費者一人一人の素朴な希望を実現するための仕組みである(悪い物は直に売れなくなる)。例えば画家にとっての糧である絵の具も、世界で一番優れて一番安いものが買えるようになる。その絵の具で描かれた優れた作品には、世界の美術市場が広がっている。

自民党内にもTPP反対派がいるようだ。TPP参加に賛成か反対かで二大政党をつくって議論や選挙をやり直せば、すっきりすると思うのだが。

美術の障壁ぶっ壊せ


食品とか医療とか知的財産とかが当面の話題になっているTPPだが、わが国の美術も将来の対象にできないものか。日本の伝統美術が悪いというのではない。問題は現在の美術とその環境だ。

「洋画」であれ「日本画」であれ、世界では全然評価されない作品。どの国にも、その国でしか通用しない美術はある。しかし、日本みたいにそうした作品が大美術館の壁を埋めたり、異常な値段で買われて贈り物に使われたり、そうした作品しか作れない人が美術大学の教授で偉そうにしていたりする国はない。加えて、号当たり幾らだの、交換会だの、日本の美術市場は訳の分からない非関税障壁だらけ。こんな所から世界で通用する美術家が生まれるのは難しい。逆に世界の優れた現代美術を日本で広めるのも難しい。悪いものを見慣れていると、良いものが分からなくなるから。障壁は、自力で駄目なら外圧で壊すしかない。

欧米や中国の有力画廊は日本にどんどん進出して日本の画廊を脅かし、世界の優れた美術を日本に持ち込んでほしい。逆に日本の優れた作品を世界に売り込んでほしい。学生を絞る欧米や韓国の美大は日本で分校を開き、学生を甘やかす日本の美大を追い詰めてほしい。国公立美術館も、より良い企画と経営ができるなら外国資本に売却して構わない。公務員学芸員は全部クビ。英語で論文が書けて資金集めもできる〝スーパーキュレーター〟と個人契約すればよい。無論そういうキュレーターは世界にどんどん出て力試しするだろう。

1990年代半ば以降、現代美術を扱い世界のアートフェアにも出展する商業画廊が、わが国にもかなりできた。しかし私が最近会った、日本で現代美術関係の仕事をしているアメリカ人はそうした画廊の幾つかを、名前の頭文字を取って「KKK」「SS」と呼んでいる。相当不満があるらしいが、人種差別組織やナチ親衛隊に例えるとは穏やかでない。詳しい話を聞かないと。

日本語が通じない美大に


私が空想する何十年かあとの日本――。

日本語に加えて英語、韓国語、中国語、インドネシア語、ポルトガル語が公用語。「日本人」の3分の2はそうした言葉を話す国々の出身者とその子孫だ。全ての言語で行政サービスが受けられる。ただ、面倒くさいので日常ではみんな英語を使っている。

美大の学生の大半が日本人の若い女性だったのは、いつのことだろう。今では学生の9割は日本語を話さない。年齢も出自もいろいろ。授業は全て英語で行う。外国に留学しなきゃと焦らなくても、ここがもう〝外国〟だ。

そういう環境で何か切実な動機を形にできる美術家は、世界で競争し、勝てるだろう。世界中の人がここを行き来するから、冒頭の「いつか」が巡ってくる機会も増えると思う。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。卒論は「オルテガにおける歴史哲学の研究」。読売新聞浦和支局記者を経てジャパンタイムズ記者に。都政などのあとクラシック音楽、ブラジルポップ音楽、能楽、西洋・東洋美術などを担当。貸画廊取材から現代美術に関心を持つ。以後フリーランス。日本語と英語で執筆。95年からミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。これまでに「産経新聞」「毎日新聞」「信濃毎日新聞」「朝日新聞」「週刊金曜日」「美術手帖」、「ART AsiaPacific」(豪)、「Art on Paper」(ニューヨーク)などに寄稿。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。2009725日付「東京新聞」社説の隣のコラムに、美術の視点からの核武装論を書いた。

日本のパブリックアートは衆愚レアリスム。名古屋覚撮影

This is how things stood some 18 years ago. Not that much has changed since.

Tokyo's Art Scene - For Good or Bad

by Satoru Nagoya

Getting an insight into what's going on in Tokyo's art scene may be, especially for foreigners, as difficult as finding someone's house in Japan without a proper map. I therefore start this column with a rough and partial outline of the current state of contemporary art in Tokyo. 

Good news first:


1. Center of Asian art. Many art institutions, from pompous museums to modest town galleries, feature Asian contemporary art so often that you can see Asian art almost anytime.

2. Specialized galleries. While there are galleries that rent space to virtually anybody, there are others that sponsor shows by promising artists only.


3. Cooperative artists. Young artists here are keen to join their forces for the sake of publicizing art; e.g., a young artists' group in suburban Tokyo held parties and organized open studio events, attracting many fans.


4. Flourishing public art. Examples can be seen near railroad terminals

such as Tachikawa and Shinjuku.

5. Thriving tourism. Art people from Tokyo like to visit major international art exhibitions, such as Italy's Venice Biennale and Germany's documenta, and are therefore informed about world art trends.


6. Lively arguments. Arguments over such issues as whether national museums should be privatized have been heating up in one vernacular art publication.


7. Art fair comes back. Japan's only large-scale international contemporary art fair, the NICAF, is scheduled to be continued in autumn next year.


8. Ambitious promoters. Some art promoters are reportedly planning to host an international triennale of contemporary art, possibly near Tokyo, within three years.


9. Generous hyoronka. Most of the so-called "hyoronka," although often introduced as "critics," are rather spokespeople for artists who are committed to praise their works.


10. Devoted foreign writers. Their articles on art in English-language publications are generally frank and oriented to ordinary art fans.


And now the bad news:


I. Asian perversion pervading. In most cases, the act of holding an Asian art show is more important to exhibition organizers than Asian art itself.

II. Inharmonious galleries. Sponsor galleries condemn pay galleries for charging artists rent, but many of them just prey on the popularity their artists have gained abroad.


III. Grouping artists. They know working in a group is an effective way to be exposed to the media. Eventually, attempts to draw media attention become their principal work.


IV. Public art pollution. Only the artists and coordinators know whether the showy objects are works of art.


V. Expensive tourism. Some people bring back nice travel gifts from overseas art shows – renowned artists or curators to do work in Japan, but then they reward the guests too amply with an indulgent Japanese audience.


VI. Lively domestic arguments. Discussions on important issues on art are open exclusively to those who can understand Japanese.


VII. Precarious fair. Although planned to be revived, few people believe a new NICAF will attract many overseas galleries, since participation costs will stay exorbitantly high.


VIII. Ambivalent promoters. Some art promoters think putting up an international art show in Japan will cover up their inferiority complex toward the Western art world.


IX. Noncritic hyoronka. Naturally, they have no critical eye. (It's a queer phenomenon that from the end of September a major international art critics' conference takes place in Tokyo, where art criticism barely exists.)


X. Difficult environment for foreign writers: Exhibitions to be covered by foreign writers usually take place at just a handful of museums and galleries which they know how to get to and which have an English-speaking staff.


Satoru Nagoya is a freelance art journalist living in Tokyo.


(October 1998 issue of "Plant," a Tokyo Journal culture supplement)