名古屋覚の管見ギャラリー3 オリンピックで文明開化

(月刊「ギャラリー」2013年11月号)


日本もようやく文明国になったかと、グーグルマップのおかげで錯覚する。スマホに目的地を表示させ、たどり着くことができるようになったから。しかし、歩道もない東京の裏町などスマホとにらめっこで歩いていたら車が危ない。放射線よりずっと危ない。

実は、日本にはいまだに「住所」も「番地」もない。これらがある文明国の町なら、グーグルなんかないころから、外国人でも字が読めれば行きたい建物まで簡単に行けたのである。

日本人にも便利に


難民支援で知られる評論家の犬養道子氏が、このことを30年以上前に痛烈に指摘している(中公文庫「セーヌ左岸で」)。私もまねれば「銀行の前を進んで、コンビニの角を曲がって……」などと地図を描いて説明しなければならないのは、住所でも番地でもナイ。

どうすればよいか。まず、今の日本の住所・番地を全部いったん白紙にする。その上で全ての道に名前(番号でもよいが)を付ける。道に面した全ての建物の玄関に番地を付ける。ある規則(皇居に近い方から遠い方へとか)に従い番地の数字が増えていく方向に向かって左手が奇数番地、右手が偶数番地。番地の数字は基点からのメートル数。全ての街角に、交差する道の名前とその地点の番地を示す標識を設ける。欧州も米国も中南米もオーストラリアも、住所・番地といえば大体この方式だ。道の名前と大体の位置さえ地図で頭に入れておけば、あとは番地を見ながらぐんぐん進め、間違えようがない。子供のころ住んでいたブラジルでも、私は道の名前と番地を頼りに、友達の家に初めてでも問題なく行けた。これまで欧米圏で道に迷ったことがない。異文化人にも易しい、そういう分かりやすさを「文明」というのである。

「欧米式」とか全く関係ない。これは世界で唯一、一番便利な方式なのである。関東大震災、敗戦と更地になる機会があったのに本物の番地をつくれなかった東京。せめてオリンピック関連施設周辺だけでも、やってみたらどうか。外国人に便利なことは日本人にも便利なのだから。

これも犬養氏がかねて厳しく批判している(同「アウトサイダーからの手紙」他)ことだが、日本のように騒音が野放しにされている先進国はない。廃品回収車や選挙宣伝車の大音声を公害といわず何というのか。街路での拡声器の使用は、警察や消防以外は全面禁止すべきである。

また電車や駅の、日本語だけのアナウンス。日本語が分からない外国人は「本日は傘の忘れ物が……」(子供相手じゃあるまいに!)とかいうのを、地震か放射線の警報と勘違いして不安にならないだろうか。英語で要らないアナウンスは日本語でも要らないのだ。

ついでに原則、全ての建物の壁は白、屋根瓦は黒、看板は禁止にできれば〝視覚騒音〟もなくせる。民度が高ければ自発的にそうするはずだ。

お通し禁止条例を


ところでいいかげん、飲食店を全面禁煙にすべきである。今どきたばこを吸う人は知性、自己管理力、他人への配慮、全てに欠ける蛮人だ。

それに「お通し」。注文していない物で金を取るのは、分かりにくさの極みだ。それも客の好みなど考えもしない、冷めてまずい、ちっぽけな代物で。外国のレストランでも始めにパンやオリーブを持ってくることがあるが、まともな店なら断ることができるし、これなら金を払ってもいいと思うほどパンも熱々、オリーブもどっさり。

店の都合しか頭にない、けちな商法は日本の恥だ。普通の定食屋でも無料でお代わり自由のおかずの小皿がどっと並ぶ韓国こそ食の先進国。見習うべきだ。「東京都お通し禁止条例」でも公約するなら、自民でも共産でも私は一票を投ずる。喫緊の課題だから。

「分かりやすさ」と「静かさ」は文明の2大条件である。拡声器の騒音にイラつき、道ともいえない狭い道で車にひかれないかとビクつき、グーグル様の世話にならないと初めての画廊にも行けないような国には、芸術や文化の基盤がないともいえる。何をやっても中途半端に終わるだろう。

オリンピックという外圧を、住みよい本当の文明国日本をつくるため徹底的に利用すべきだ。外国人にも日本人にも分かりやすい番地や乗り物。静かな街。それが本当の「おもてなし」だ。発想の転換が必要ではないか。

原発で芸術ユートピア


発想の転換――。原発といえば反対という人は多い。普通の人ならそれも無理ない。しかし芸術家や芸術関係者なら、ちょっとは創造性を見せ、誰も考えたことのない未来を語れないものか。

例えば、稼働中の原発の周囲の住民一人一人に、年齢や所得に関係なく一律、月額15万円ぐらいか、それだけで何とか生活できる程度のベーシックインカム(BI)を一生にわたり支給する。その代わりBI対象地域では公的健康保険も年金も雇用保険も、もちろん生活保護も一切廃止。BIの目的は弱者保護ではなく、役人撲滅で究極の「小さな政府」を実現することなのだから。皆が使う電力のため、確率が非常に低いとはいえ事故の危険と共に生活する人々には、それぐらいの恩恵を施してよかろう。

ただ、起こるかどうか分からない事故のことさえ気にしなければ、一生、嫌な仕事をしないで好きなことに打ち込んでいられる。国内ばかりか世界中から芸術家志望者や、ただの怠け者が殺到するだろう。BI目当てに出生率が上がるかもしれない。面白い実験になるだろう。

コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。卒論は「オルテガにおける歴史哲学の研究」。読売新聞記者を経てジャパンタイムズ記者に。都政などのあとクラシック音楽、ブラジルポップ音楽、能楽、西洋・東洋・現代美術などを担当。以後フリーランス。日本語と英語で執筆。95年からミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。これまでに「産経新聞」「毎日新聞」「信濃毎日新聞」「朝日新聞」「週刊金曜日」「美術手帖」、「ART AsiaPacific」(豪)、「Art on Paper」(ニューヨーク)などに寄稿。秋田公立美術大学非常勤講師。美術評論家連盟会員。「シェル美術賞2013」審査員に任命されるも、本誌4月号小欄の“エープリルフール騒動”で即刻クビに。


居酒屋のベーシックアウトゴー「お通し」。
客をなめているようなのは国公立美術館企画展の多くと通じる。名古屋覚撮影

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