(月刊「ギャラリー」2013年9月号)
「売れている作品が良いとは限らない。しかし良い作品は必ず売れる。いつかは――」
作品が売れない。展示の機会もない。それで悩む若手や中堅の美術家に私が掛けられる言葉は、これしかない。良い作品が見いだされて売れるには、一人の目利きがいても駄目。駆け引きする画商たち、目ざとい収集家たち、それにオークションなどの場が必要だ。そういう場が「市場」である。美術市場こそ、美術家たちの究極の居場所なのだ。
真の対立軸は
夏に参院選があったが、どうもすっきりしない。選挙での主な論点は、原発と電力保障、改憲と安全保障、それに環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加の是非だったろう。原発については、反対でない自民党の圧勝で答えが出ている。普通に賢い、多くの人たちの声だ。改憲は、憲法と現実との整合美のためにはよい。しかし中国やロシアと組むわけにはいかず、独自防衛も難しいなら、アメリカとの軍事同盟を維持するのが日本の唯一の道だろう。改憲で現実が動くわけではないので、喫緊の課題ではない。われわれの今後を本当に左右する対立軸は、TPPをめぐるものだと思う。
南米チリ、ニュージーランド、ブルネイ、シンガポール。ワインとかチーズとか石油とか頭脳とか、自国の優れた産物を輸出するため大きな市場が欲しい、太平洋の周りの小国群が創設したTPP。アメリカの参加は、それらの国々の望みに沿うことだった。良い物を世界でたくさん売りたい。世界の良い物を安く買いたい。生産者・消費者一人一人の素朴な希望を実現するための仕組みである(悪い物は直に売れなくなる)。例えば画家にとっての糧である絵の具も、世界で一番優れて一番安いものが買えるようになる。その絵の具で描かれた優れた作品には、世界の美術市場が広がっている。
自民党内にもTPP反対派がいるようだ。TPP参加に賛成か反対かで二大政党をつくって議論や選挙をやり直せば、すっきりすると思うのだが。
美術の障壁ぶっ壊せ
食品とか医療とか知的財産とかが当面の話題になっているTPPだが、わが国の美術も将来の対象にできないものか。日本の伝統美術が悪いというのではない。問題は現在の美術とその環境だ。
「洋画」であれ「日本画」であれ、世界では全然評価されない作品。どの国にも、その国でしか通用しない美術はある。しかし、日本みたいにそうした作品が大美術館の壁を埋めたり、異常な値段で買われて贈り物に使われたり、そうした作品しか作れない人が美術大学の教授で偉そうにしていたりする国はない。加えて、号当たり幾らだの、交換会だの、日本の美術市場は訳の分からない非関税障壁だらけ。こんな所から世界で通用する美術家が生まれるのは難しい。逆に世界の優れた現代美術を日本で広めるのも難しい。悪いものを見慣れていると、良いものが分からなくなるから。障壁は、自力で駄目なら外圧で壊すしかない。
欧米や中国の有力画廊は日本にどんどん進出して日本の画廊を脅かし、世界の優れた美術を日本に持ち込んでほしい。逆に日本の優れた作品を世界に売り込んでほしい。学生を絞る欧米や韓国の美大は日本で分校を開き、学生を甘やかす日本の美大を追い詰めてほしい。国公立美術館も、より良い企画と経営ができるなら外国資本に売却して構わない。公務員学芸員は全部クビ。英語で論文が書けて資金集めもできる〝スーパーキュレーター〟と個人契約すればよい。無論そういうキュレーターは世界にどんどん出て力試しするだろう。
1990年代半ば以降、現代美術を扱い世界のアートフェアにも出展する商業画廊が、わが国にもかなりできた。しかし私が最近会った、日本で現代美術関係の仕事をしているアメリカ人はそうした画廊の幾つかを、名前の頭文字を取って「KKK」「SS」と呼んでいる。相当不満があるらしいが、人種差別組織やナチ親衛隊に例えるとは穏やかでない。詳しい話を聞かないと。
1990年代半ば以降、現代美術を扱い世界のアートフェアにも出展する商業画廊が、わが国にもかなりできた。しかし私が最近会った、日本で現代美術関係の仕事をしているアメリカ人はそうした画廊の幾つかを、名前の頭文字を取って「KKK」「SS」と呼んでいる。相当不満があるらしいが、人種差別組織やナチ親衛隊に例えるとは穏やかでない。詳しい話を聞かないと。
日本語が通じない美大に
私が空想する何十年かあとの日本――。
日本語に加えて英語、韓国語、中国語、インドネシア語、ポルトガル語が公用語。「日本人」の3分の2はそうした言葉を話す国々の出身者とその子孫だ。全ての言語で行政サービスが受けられる。ただ、面倒くさいので日常ではみんな英語を使っている。
美大の学生の大半が日本人の若い女性だったのは、いつのことだろう。今では学生の9割は日本語を話さない。年齢も出自もいろいろ。授業は全て英語で行う。外国に留学しなきゃと焦らなくても、ここがもう〝外国〟だ。
そういう環境で何か切実な動機を形にできる美術家は、世界で競争し、勝てるだろう。世界中の人がここを行き来するから、冒頭の「いつか」が巡ってくる機会も増えると思う。
コラムニスト、美術ジャーナリスト 名古屋 覚(なごや・さとる)
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部西洋史学専修卒業。卒論は「オルテガにおける歴史哲学の研究」。読売新聞浦和支局記者を経てジャパンタイムズ記者に。都政などのあとクラシック音楽、ブラジルポップ音楽、能楽、西洋・東洋美術などを担当。貸画廊取材から現代美術に関心を持つ。以後フリーランス。日本語と英語で執筆。95年からミラノ発行の英文現代美術誌「Flash Art」日本通信員。これまでに「産経新聞」「毎日新聞」「信濃毎日新聞」「朝日新聞」「週刊金曜日」「美術手帖」、「ART AsiaPacific」(豪)、「Art on Paper」(ニューヨーク)などに寄稿。美術評論家連盟会員。秋田公立美術大学非常勤講師。2009年7月25日付「東京新聞」社説の隣のコラムに、美術の視点からの核武装論を書いた。
日本のパブリックアートは衆愚レアリスム。名古屋覚撮影 |
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